ーファジコン、いつかどこかでまた会おうー 〜偉大なる才能達に愛と尊敬と感謝を〜

とうとうこの日が来てしまったのはとても寂しいことですが、3人とも12年間立派に戦ってくれたと思います。
そしてこの偉大なる才能達に愛と尊敬と感謝の気持ちを贈りたい。
ぼくは今から15,6年程前にちょうど今のぼくの娘と同じ14から15(中3の終わり)になる頃に樹音と言う天才ギタリストと出逢う事が出来てほんと感謝している。
途中は抜けているもののたぶん6年は一緒に居た計算になる。
最初プロデュースさせてもらったのは彼のデビュー曲Rock’n Roll Soulというシングルでいきなりの天才ぶりでソロなんかはその当時から凄かったし今とまあ変わらないと言えば良くお悪くも変わらないw 既に完成していた!!
3ピースで録音したけどそうる透氏もベースの六さんも目が点。そしてご機嫌な演奏だった。
後にこのテイチクの音源をビクターの社内でヘビロテしてくれていたのがぼくのボス、当時ビクターエンタテインメントの専務だった三枝照夫氏でラブサイケデリコの直樹氏とこのCD最高だね〜!なんてことを言って聴いててくれてたらしい。。
もちろん程なくしてぼくは、三枝氏が社長を兼任していたデリコやKiroroの事務所HitVibe(現ビクターミュージックアーツ)にプロデューサーとして契約を交わした。
その後ぼくと当時の樹音の事務所社長の長さん、そしてぼくのマネージャーの吉浦氏は樹音とKenKen(現Rize)のバンドをビクターで作るべく動き回った。
そしてデビューまでの少なくとも1年間は無償でリハスタでの楽曲制作に付き合いFuzzy Controlというバンドを立ち上げていったのだ。
それから一時してドラムオーディションを開催し、サトコが日傘さして現れw無事バンドに加入して数ヶ月たったある日、KenKenが違うバンドでデビューが決まったとか言ってバンドを離れた。
急遽樹音とサトコのリハスタで録ったデビュー曲のShine Onを全国にベース入れて送り返してくれってことでバラ撒き、オーディションの末にJoeに決めた。
そしてこのメンバーでまだ実力が2人よりなかったJoeが格段の進化を遂げている中で12年前にデビューさせる事が出来た。
そしてぼくらは当時来る日も来る日もレコーディングしてたように思うけどビクター時代の音源の最後の一曲を除いてぼくがすべてプロデュースできたことを今も誇りに思ってます。
初期はまだアナログ24chにベーシックを録れてた最後の時代で彼らの演奏力があったからそれも実現できたのだとも思う。
また今までバンドが続いたのはジョーのやさしくて向上心がある性格のおかげだったのではないかと今も思ってる。
サトちゃんも同様で芯が強くてああ見えてとても愛情深い性格はこの歳月を乗り越えるとても大事な要素だったに違いないのだ。
ご存知のようにファジコンはドリカムのツアーサポートや音源では有名になったけど、大ヒットがないバンドがこんなにリスペクトを受けながら最高のRockを演りながら長い期間活動してこれたのはぼくらとしても本当に嬉しく、それ以上に感謝しています。
日本のRock Musicに圧倒的な演奏力で挑んだ彼らに拍手を!!
これから一人一人の活動はどういうものになっていくかは今は想像出来ないけど、是非大満足の音楽人生にしていってほしいと思ってる。
この日会いに行けるかどうかはまだ分からないけど最高の集大成ライブになるように祈っています!!
ファジコン、いつかどこかでまた会おう。
A-HEAD RECORDS 堤秀樹
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