ー12月20日をまた迎えることができましたー 〜それから娘からの手紙〜

ー12月20日をまた迎えることができましたー 〜それから娘からの手紙〜

今日はぼくの二つ目の誕生日。※1

やっと7歳になることができたことを報告させてください。
7年前の今、ぼくは旧浜の町病院の宇宙船のような無菌室にいました。
自分の運命がどうなっていくのかなんてまだ考えることができない状態でモルヒネを点滴で打たれていたのを思い出します。
ぼくは台本が無くてもずっと話し続けることができる事が2つあって、それは音楽のことと闘病のことだって、よく友人に言います。

つまり、もの凄い密度で経験出来たことがぼくの人生では今のところこの二つ以外にないとも言えます。

ぼくは音楽のプロではありますけど、闘病のプロとも言えるんじゃないかとも思っているのです。

ぼくの病の名前は、急性骨髄性白血病で、渡辺謙さんと同じくM2という型です。

妹の造血細胞をいただいて今ぼくはここに生きています。

 

この病を宣告されるということは基本的には今まで積み上げてきたものを一旦下に降ろさないといけません。

仕事であり、地位であり、お金であり、所有物であり、もしかしたら友達や家族も一旦下に降ろさないといけないことになります。

それもたったの数秒で宣告されます。

ぼくの場合だと完全に働けなかったのはその日から丸々4年。

さらに2年はリハビリ的に動きながら少しずつ体をチューニングしていったように思います。

その間、ほぼほぼお金は入ってきてませんが、それでも人間は生きていくことができるようです。

もちろんぼくには両親や妹家族の支えがあって戦える条件がそろっていたからというのもあるんですが、当初はあまりにも合併症のGVHDが酷くて復活する希望(音楽家としてでなく人間としての)もない上に仕事も全て失った真っ暗闇の中から、少しずつひかりの方に這上っていく術を会得していったようにも思うし(気のせいかもしれませんがw)、大事なものの残し方(必要のないもののそぎ落とし方)も少しは分かってきたんじゃないかと思ったりもしてます。

そして一旦全て空になったぼくの側には今、仲良くしてもらっている新しい仲間たちや慕ってくれる生徒たちやご縁をいただけた素敵な人たちがいてくれて、それはこの病があったからこそのありがたいご縁なんだと今は思えるのです。

そして東京時代の友人たちも少しずつまた声をかけ始めてくれているのが本当に嬉しいし、福岡にいるのにご縁があり、来年から一緒に活動していく事になっている東京や日本全国に組織が広がっているMusic Shareのみなさんとの活動も愉しみにしています。

また、来年の頭からまたスタジオのあるRubyコンテンツセンターのシェアードオフィスに戻ることになってますが、そこで益々強力な実行力が半端ない仲間たちと素敵な取り組みをしていくことになりますので愉しみにしてほしいと思います。

そして、最後に書かせてもらうのはやはり我が最愛の娘モカ。

闘病中もとうちゃんのわがままに付き合って、長い休みになると二人で日本全国飛び回ってくれた娘。

そして本日12/20、彼女から先日ばあちゃんが宅急便で送ったものへのお礼の手紙が舞い込んできました!

ひとしきりお礼の後に、

今日はわたしのボーイフレンドの話をしようと思います。

ときた。。

私の彼は涼汰くんといいます。

頭が良くて、これというのは、お勉強が得意というだけでなくて、ものの考え方とか要領の良さとか器用さとか広い意味で頭が良いんです。
そしていやされます。〜〜ノロケタイム〜〜

好きですとよく言ってくれますが、私 と あまり距離をつめようとせず、見守ってくれる感じが年上のようで〜〜とても慕っております。〜〜〜

、、、とまあ、楽しくやっております。

と結ばれてた汗

そうやって娘も8年半(当時8歳)でしたが、優しくて逞しい人になってきていて、そこはやはりママの功績が大きいのだと感じ、感謝してもしたりません。

ママ、ありがとう!!

本当に最後に、、

ぼくのこの話が今戦っているどなたかの希望になりますように。

必要とあれば個人的に相談にだって乗りたいと思ってます。

そしてぼくはまた一年間しっかり生きてゆきたいと思ってますのでみなさま今後とも宜しくお願い致します。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

A-HEAD RECORDS 堤秀樹


※「第2の誕生日」について
移植を施した日をもう一つの誕生日として、自分の人生の節目とするんですね。
これまで頑張ってきた自分の骨髄細胞から、この日を境にドナーさんの骨髄に変わっていくわけですから、まさに新しい自分が誕生する記念日です。(悪性リンパ腫体験記 うつむかないで前向きにより引用

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