自律系の感動

心が動かされた。感情が湧いてきた。こんな時「感動した」と言いますね。

その感情は時間が経つと微かな痕跡を残して心から消えていきます。

この感情は、あるしきい値を超えると私達に行動をおこさせます。感情が身体を「動」かすのです。もう一つの「感動」です。

感情が言葉や行動になると、それは自身の環境に影響を及ぼしはじめ、世界に変化が起きます。最初は些細なことかもしれませんが、この意識はネットワークで広がり、密度が高くなると、社会的なムーブメントになったりするのでしょう。

昨日、A-HEAD RECORDSの月中会議の中で、在京のギタリスト奥田健治氏とお話しする機会がありました。その後、奥田氏のFBのタイムラインにアップしている、「朝練」と題する演奏動画を代表の堤さんより見せてもらいました

ギターのカッティング演奏の動画なのですが、もう感動なのです。僕は今日、ギターを習ってる8歳の甥に早速見てもらいました。音楽にさほど興味のない家族親族達にも、「見て見て!凄いよ!」と見てもらいます。これって、行動している自分がいるんですね。

芸術に限らずどの分野でも知識や技術が優れることと、感動を生む能力は、相関があるようなないような。自分でもそのことことが良くわかってなかったと思うのですが、昨日は少しわかり始めた気がしました。

例えば専門分野で自分より優れた技術を持つ人の技を目にすると、単純にスゴイねと尊敬します。そして、自分の概念では考えられないような技を見たときには、驚きを感じます。尊敬や驚きの感情というのは、それが謙虚さや向上心につながれば確かに感動といえるでしょう。

それとは全く別次元の感動があります。心が共鳴するような感覚です。人間は純粋な笑顔と作り笑いを簡単に見分ける力があります。語気や息づかいから相手の心の奥の気持ちを察することができます。それと同程度かさらに微細な揺らぎかもしれませんが、操る楽器の音に感情を乗せることができる奏者がいます。

「感情をこめて・・。」「感情的に・・。」音楽の分野に限らず、あらゆる表現に関わるフィールドにおいて指導を受ける時に言われます。でもただ感情をこめれば、感動を生むわけではありません。

奏者が楽器を弾く時、身体的指令は運動神経で行われますが、最終的な音は自律神経系をとおして感情により様々な影響をうけます。自律神経系の作用の例に、感情別の神経伝達物質量、呼吸、心拍、血液の流れ、汗、姿勢などがあります。これらは意識して自在に変化させることが不可能で、故に自律系と言われています。そしてこれが奏者のリズムや奏法に影響を及ぼします。

ここをこうやって弾く、という運動神経系のことは体系的に学ぶことは可能ですが、自律系に関しては知識や体系で伝承できるものではないのではないか。そして、その自律系の影響こそが、芸術分野における価値を決定する大きな要素ではないか。

とすると、偉大な奏者の演奏を聞きながら、感動を受け続け、自分なりの自律系のチューニングを「感覚」で磨いていくしか、次なる偉大な奏者は生まれないのではないか。そのような環境の提供を行うことができたら素敵なことだと思います。

これは音楽の例でしたが、自分の専門に当てはめてみて考えると、とても自戒させられます。単に知識や技術を習得したからといって満足している自分。本当に大切なのは、その先の実践にあります。同じことを繰り返し何度も行う。門外漢が見れば「何やってるのだろう」と思うような単純なことでも繰り返し続ける。そして、心と身体の両方に意識をしてチューニングを続けていく。

何かを究めるということは、本当に好きなことでないとできない理由がここにもあるようです。奥田健治氏のギターを弾くことに対する愛がとても伝わってきました。